最新ニュース

カタカムナ研究会終了のご案内と今後の方針について

木の花ファミリーでは、2015年3月より毎月カタカムナ研究会を開催してまいりましたが、このたび、外部より講師を招いての研究会を終了させていただくこととなりました。この件に関し、以下の通り皆様へご案内申し上げます。
 
=============================================
 
木の花ファミリーでは、2013年11月にカタカムナと出会ってから、ちょうど2年が経ちました。
初めの1年間はファミリー全員が参加して毎月勉強会を開催し、2年目からはカタカムナをより実践に落としていくために、名称を「カタカムナ勉強会」から「カタカムナ研究会」に改め、一般の方々の参加を募り、ファミリーからはその役割を担うメンバーのみが参加するようになりました。そして丸2年が経った今、私たちは、今後カタカムナをどのように実践していくかを考える良い区切りが来たと考えています。

そういったことに興味のない方にはわからないかもしれませんが、宇宙的には2012年の12月21日に「銀河の冬至」というターニングポイントを迎えました。そして、そこから3年が経ちました。2013年には、木の花ファミリーの中に「削ぎ落とし」の波がありました。メンバー一人ひとりがこういった生き方をする意志を確認し、その意志のないメンバーはファミリーを離れて行きました。同時に、ここに残った中で主だったメンバーたちにも心の禊がありました。

そして、2013年から2015年という3年間で、次の新たなステージへ行くための準備がなされました。木の花ファミリーでは毎年、その年のテーマが降ろされます。2013年は「出会い」、2014年は「うねり」、2015年は「船出」の年でした。そして2016年は「発信」の年となります。

準備期間としての3年間を、もう一つ別の見方をすると、2012年12月21日の「銀河の冬至」を終え、2013年、2014年の「削ぎ落とし」の2年間を経て、3年目の2015年は「確立」の年でした。それは、「船出」の年に新しい港について、次の船出に向ける私たちのスタンスを確立するということです。そして、2016年はその新たな姿勢を持って「発信」していきます。

そんな流れの中で、木の花ファミリーは2013年の終わりにカタカムナに出会いました。
2014年はカタカムナが浸透するための期間として、ファミリー皆で勉強会を行いました。2015年はカタカムナをどう生活に落とすかということで、研究会を開催してきました。

1949年、カタカムナの八鏡文字が発見され、楢崎皐月氏が現代人に理解されるように体系化しました。それを受けて、楢崎氏に共感した宇野多美恵氏、関川次郎氏、芳賀俊一氏の3者が、そこで得たものを現代の人々に分かるように紐解いてきました。もしくは、紐解こうとしてきました。しかし、その神髄までは到達しませんでした。それは、時代がそこまで求めていなかったからです。仮にその神髄に行き着いたとしても、神髄が分かれば分かるほど、世の中はそれを否定する時代でした。そういった時代の中で、楢崎氏を始めとするカタカムナの研究に取り組んだ人々は、世の中の人々が求める程度にそれを紐解き、解説してきたのです。これも時代の流れだったのでしょう。

そして今、時代の扉が開き、カタカムナ的精神が必要とされる時がきて、この時代にカタカムナが再び蘇ったのでしょう。今現在は、まだ少しの直観を有する人々が時代の変化を感じ、その本質を求め始めていますが、その多くは時代の扉が開いたことを受けて学んでいるのではなく、自らの興味を満たすために、御利益的に捉えています。今、冥王星が太陽の周りを1周する250年の周期が終わり、新たな周期に入りました。そして文明周期説の800年、1600年のサイクルの区切りも、2000年を越えて迎えています。現代物質文明の元となる6450年、もしくは太陽の一螺旋の12900年、25800年という様々なサイクルのターニングポイントも迎える中、多くの人々は、新しい時代に対応する人間となるような、現代人にしてみれば自らの価値観が根底からひっくり返るような、想像することも出来ない精神として、カタカムナと向き合っているわけではないのです。

しかしながら、今の地球の状況や、人類の社会的行き詰まりを考えれば、そのような大転換が必要とされていることは明らかです。ところが、現代の人々は相変わらず表面的な対処療法をくり返し、世の中の行き詰まりの根本的な原因である現代人の性質と向き合うことを避けているのです。

2012年の12月21日をもって「銀河の冬至」を迎えた後に、2013、14、15年と新たな時代に転換するための下準備が地球規模でなされました。それは、世界各地の社会情勢を観ると分かります。これに対して、世界のリーダーたちは見当違いな対応を続け、混乱に拍車をかける一方であり、根本的な解決を図ることができずにいます。これは、現代医療の場で、医者が対処療法的に患者を薬漬けにしているのと同じようなものです。

それに対して、原因の真相を理解し、解決の糸口となるために、カタカムナは現代に甦ったのでしょう。人類は産業革命以降250年間続いた物や金を追い求める時代を生きてきました。そういった社会に対する価値観を提案するため、私たちは新たなライフスタイルを模索してきました。250年、800年、1600年、6450年、12900年、25800年という様々なサイクルを超えた今、ここに出会っています。そしてカタカムナに出会い、さらに確信を持つこととなり、これを生活に落とすことの重要さを認識することとなりました。そして今、私たちが何ものかということが分かってきたのです。それは、「銀河の冬至」の正反対に当たる、「銀河の夏至」(12900年前)の前後に生きていたカタカムナ人たちのように、一人ひとりが天とつながり直観で生きることによって、新たな時代の扉が開きます。その証として、私たちはこの生き方を歩んできたのだということを、今理解したのです。

「理解した」ことにより、準備期間は終わりを迎えました。13、14、15年と3年をかけて準備が終わったからこそ、私たちはそこで理解したものをこれから世の中に向けて発信していきます。しかしながら、世の中は2012年12月21日の銀河の冬至を迎えても、まだ寒いばかりです。そのような中で発信をしても、一部の人々にしか伝わらないでしょう。つまり、闇のピークを越えたばかりの時はまだ寒く、それを敏感に直観で感じる一部の人々だけが分かる時代なのです。だからこそ、広く世界に向けて発信していきます。

先日行われた第9回大人サミットでは、いろいろな国からの参加者が集い、これまでに無い国際的なサミットとなりました。世界中にまだ小さな発信しかしていないにもかかわらず、それを嗅覚でかぎ分け、真実を感じ取った人々が集ってくる時代になったのです。私たちは、世界中に点在する本物の価値観の転換を求める人々に向けて、私たちが得た理解を発信する責任があると感じています。これからは、そのように価値観を同じくする人々が、場所は離れていても意識的につながることによって、点在していては発揮しきれない能力を飛躍的に発揮出来るようになっていくことでしょう。そのようにして、この時代の転換を感じ取ったものの責任として、これからは役割を果たしていきます。

これまでのように、興味本位に思考を回して御利益を求める多くの亡者たちのような姿勢では、いくらカタカムナを学んでも、既存のセミナーや宗教と大きな違いはありません。しかし、そのような人々は、その人々なりに世の中の変革に貢献していると思っているため、自らの言動が御利益を求める上に成り立っているということに、なかなか気付くことができないのです。そしてその場では、御利益に賛同する人々が、さらに群れていくのです。

それは、天とつながっていないために精神に柱が無く、人々がそれぞれに渦巻いて、好き勝手な解釈をし、価値観の渦があちこちに点在する世界です。そして、人類の殆どが、それを自由とはき違えています。それはとても微妙なことであり、己の状態を認識することができない人々にその状態を伝えても、なかなか伝わらないのが現状なのです。

そしてまた、伝える側にいる人々も、そのことを指摘することができずにいます。何故なら、それを食うがための糧としているからです。食うがためには、組織を存続させ、人々をその集いに引き付けておかなくてはなりません。そのような状態で真実が伝えられるのかというと、伝えることはできないのです。仮に伝えたとしても、そこに集う人々が興味を示さなければ、それ以上は伝わらないのが当然のことです。

では、私たちがカタカムナに出会ったことの意味は何であったのかというと、この2年間を通し、カタカムナ的直観やカタカムナ的生き方の要素を私たちは既に持ってこの生き方をしていた、という「確認」をすることでした。そこにあったものは、今までに出会ったことのない新鮮な真理ではなく、私たちが分からないながらも大切にしてきたものでした。日々心を磨いて群れで生きてきた生活の中にちりばめられていたものが、理論として体系付けられたものに出会ったのです。

世の中にこのような生き方が大事だとどれだけ伝えても、殆どの人が実践できない中で、木の花ファミリーは確固たる組織・形を作って「群れ」として成立し、精神性と生活を通して現象化してきました。それは、私たちがカタカムナ的要素を持っていたからです。どれだけ立派に体系を語ったとしても、現実に精神的要素がなければ、こういった生き方はできないのです。知識で学んだとしても、実践できない人々は自己満足の位置で結論を出しているため、実践している人々に嫉妬さえするのです。

こういった生き方を理解できない人々の中には、自らのエゴを克服することができないが為に、木の花ファミリーを否定することで自らのエゴを満たすような者さえいます。コミュニティを研究する多くの人々が、研究はしても実際にはコミュニティを立ち上げない、または立ち上げても血縁の枠を超えられない、もしくは血縁を超えて立ち上げてもエゴによって分裂、解散する、という現実があります。コミュニティとは言っても、それは心の結び付きによって成り立っているのではなく、個人の損得の延長であったり、お金で人が動いている企業形態であったり、世の中に評価してもらうための自己満足の世界を表現したものであったりするのです。世界中のエコビレッジを視察しても、純粋に高い精神性によってコミュニティが成り立っているところは少ないのが現状です。

そういった場で欠落しているのは、木の花ファミリーが20年間最も大切にしてきた、群れで成立するための心磨きです。これは、己の外に出て自らを観察する能力を磨く事であり、誰の側にも立たない、言わば宇宙視点で自分さえも突き放して観ることができる境地を指すものです。しかし、今の地球人は、己の感情や欲のままに、自らの枠の中の理論や知識をぶつけ合い、自らに都合の良いように世界を解釈し、己の欲の渦に飲み込まれている状態です。そして、その事に気付いてさえいない人々が殆どであるのが、今の世界の現状なのです。

真に時代の変化に乗って意識を変えようとする者は、自らも含めた現状に疑問を持ち、自らの意志に向き合い、これまでの意識を転換する歩みにこそエネルギーを注ぐものです。そもそも生きるということは、ただ知識を得るのではなく、時代と共に生きることが目的なのであり、新しい時代を迎えるための姿勢を示す為に、私たちは生まれて来ているのです。

そのような意識を持った者は、未だ変革を感じ取れず、欲望に翻弄されている人々に媚びを売ることをしません。万人が真理を会得すると言われるこれからの時代に、真に人々に意識改革をもたらすためには、想いと言葉と行動が一致することが大切なのです。これからの時代は、それが最も重要になります。知識をたくさん持ちすぎると、その知識や言葉に酔い、新たな方向へ向かう時にそれが邪魔をして、直観で探りを入れることが出来なくなります。自らを突き放し、自らも単なる時代の媒体となることが大切なのですが、それは現代人には難しい境地です。人間は皆、どこか嗅覚で、心磨きをしたくないと思っています。己のエゴの姿と対峙したくないのです。

世の中に、世直しのための大小様々なネットワークが存在しますが、人間には自分たちの持っている叡智や技術を所有する傾向があり、多くの組織がまだそのような過程にあります。木の花ファミリーは、天の叡智を所有せず、自らのコミュニティさえも所有しません。私たちは、自分たちのためにコミュニティを立ち上げ、運営しているのではなく、人間が自我を超えてこのように群れで生きることができるのだという姿を、世の中に先んじて雛形として見せていく役割があることを自覚しています。さらに、ここに降りて来る天の叡智は私たちのものではなく、万人のものです。私たちの望みは、真理があまねく地上の人々に広まることであり、自分たちが世の中に評価されることではないのです。

どれだけ天とつながろうとも、横のつながりが無ければ、群れは横の歯車がかみ合わず、不安定となります。天とのつながりが十分にあり、かつ地を生きる人々の意識が連携し、確立して行くことが大切なのです。これからは、時代と共に天から託されて真理を降ろした人々も、それを所有してはいられない時代になっていきます。所有するとそれが邪となり、世直しのつもりが、むしろ世の中の害となっていくことにもなるのです。

いよいよその真実をカタカムナ的精神に乗せて発信する時を迎え、その為の知識は十分に学んできました。そしてこれ以上知識を学ぶと、今度はその知識が邪魔をすることにもなるでしょう。これからは、このカタカムナ的思考回路を発展させるために、これまで通りに日々の中で心磨きを続け、一人ひとりが天とつながった状態でネットワークし、古のカタカムナ人のように、自らの中に天の法則を湧き出させる作業が必要となってきます。

私たちは、世の中に媚びを売るために「発信」するのではありません。世の中が、自らの精神や欲望から生まれる思考を超えてまで真実を求めるようになるのは、もう少し先になるでしょう。しかし、時代は変化する意志を持って着々と進んでおり、新たな扉は既に開かれています。そのための動きが地上でも始まったのです。私たちは、その導きの餌を世の中に撒く必要があります。それは寄せ餌のようなものであり、それが「発信」であるのです。

今の段階では、それはただ存在を伝えていくということです。時が来なければ、事は起こりません。しかし、時が来ないからと言って何もせずにおくということはありません。時は常に動いており、順々に近付いてきます。その時が来て、事が起こる時、それにふさわしいものになっていなければならないのです。それが役割というものです。

その節目が来れば、事は自ずと明快になることでしょう。それは階段のようなものです。確かなのは、木の花ファミリーはこの生活を通して、世の中が成し得ないことをしているということです。現代社会ができないことを可能にしているのです。

かつて地球暦に出会ってこの世界の仕組みを紐解くヒントを得た時に、わからないながらも直観と叡智によって独自にそれを体系化していったように、カタカムナについても、先人たちが成し得なかった境地を私たちは目指していきます。先人たちは、古代の叡智を紐解き、新たな扉を開く私たちへとつなげてくれました。しかし、彼等が紐解いた真理は、それを生活に落とすというレベルには至っていないのです。

だからこそ、私たちは次の段階の解釈をしなければなりません。私たちには、これまでの歩みを通してそれだけの実績があり、役割があり、それが可能なのです。これからは、人々が生活に現し実践するためのカタカムナの学びを提供していきます。そして私たちは、この2016年の1年間を、新たな時代に向けた説得力ある情報提供ができるようになるための準備期間と位置付けました。そこでは、生活に落としていくための様々なプロジェクトが模索されていきます。

このような動きの中で、私たちは発信のための準備を始めます。すでに、日本から世界に向けての発信が始まっています。その発信の証として、木の花ファミリーの人々はそれにふさわしい生活をしていきます。そういった、天と地の共同作業に目覚めた人々のプロジェクトが、来年から動き始めるのです。
その新たな取り組みを発信しながら、いずれそれを体系化し、広く皆さんにお伝えできる時が来ることでしょう。

2015年12月22日 冬至

 

 

投稿日: 2015/12/17 | 投稿者: | 0件のコメント

コメントをどうぞ